合理化の事例

 以前、友人に「嫌になったときは人を見下すといいよ」と言われたことがある。恐らく高校生の頃の話で、そのときはそういう考え方をする人にそれまで会ったことがなかったもので、へえーとしか反応しなかった。と同時に、実力に裏打ちされた自信を持つ日頃のそいつに対してあてのない苛立ちを覚えていたためか、少しその傲慢さが鼻についた。だからその分記憶に残っているのだろう。

 

 もうじき職場に入って一年がたつ。多くのことが通用せず、飲み込みが遅い自分や無駄かつ筋が通っていないように思える指示を出す上司に対して、ストレスを感じてばかりだった気がする。そのたびに、本やブログ等を読み、自分にとって都合よく吸収し合理化しつつまたそんな自分をへし折られてきた。

 その合理化のひとつに、自分より勉強していないし就活でも追い込まれなかった世代だからこのような無駄な指示を出しても仕方ないのだろう、と思い込むパターンがある。これは、テストで一定の点数を取るのに必要な知識量が、世代を追うごとに増加しているというどこかのブログで見た話を根拠にしている。同世代の知りうる連中と比べればそれなりに勉強した自負がある自分としては、もっともらしい説だったのだ。その説によって、無駄が多い上司の指示を受け入れる心持を作ってきた。

 

 でも今思えば、無駄かどうかは世界の狭い自分のみが判断するに足りることではないし、何より昔鼻についた友人の言うとおりのことをしている。自分は他人を見下すことはしないだろうとあのときは思ったが、思いっきり見下している。でもこれが生きるのには必要なのだ。